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私的には十三仏灯台:高浜灯台(熊本県)

2012/04/09 19:00

 

灯台の名称の多くは、その岬や埼の地名に基づいている物が多い。有名なところでは、室戸岬灯台や犬吠埼灯台などがそうである。しかし、正式名称では地名由来の物でも、地元の人からは別名で慕われる灯台もある。青森県の白糠灯台は、地元では物見埼灯台と呼ばれ、日本一高い位置から投光する余部灯台は、御崎灯台と慕われている。

 

熊本県の灯台を巡ったときに、地元民でもないのに、勝手に名称を変えたくなった灯台、それが今回紹介する高浜灯台である。熊本県出身の知人に尋ねても、高浜灯台と言っても何処のことかわからなかったが、十三仏堂のある埼に立つ灯台と話すとわかっていただけた。まんざら、私が勝手に思い込んでいるだけではなく、知名度でも十三仏と言う名称の方が勝っているようである。

 

十三仏灯台と命名したいと思った高浜灯台は、熊本県天草の大江天主堂の北側の高浜町にある。埼と言うより峠であり、登り切ったところに公園が整備され、そこから海よりに少し下ったところに灯台が、そして十三仏堂がある。(詳細は私の灯台巡り記事を参照ください)灯台に近づくためには、断崖近くを通らなければならず、その高さに少し驚き、恐れつつも進んだが、道があるだけ助かった。狭い敷地であり、近くから見上げるよりも、この灯台は、離れて景観として楽しむべきかもしれない。公園から灯台を見下ろす形で眺めると、後方に天草灘が広がっており、私は、そちらを、『十三仏灯台』としてお薦めしたい。

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限られた時間の中で(夜の日御碕灯台)

2012/04/03 09:36

 

島根県出雲に立つ日御碕灯台を訪ねたのは、これで三度目になる。これまではただ立ち寄った程度であったが、今回は夜に海上に向かって光を放っている灯台の姿が見たくて訪ねた。

 

2011年の夏、休暇を取って予定していた島根県の灯台巡りは、仕事と私的用事が入ったために、予定の半分となり1日半しか取れなくなった。それでも夜の日御碕灯台を外すことはできずに、早朝自宅を出発してから島根県に昼前に着くと、いくつかの灯台を巡って、午後7時前に日御碕に到着し、撮影して一泊してから。翌朝自宅に戻ったのである。

夜の写真撮影でも天候は大切である。曇天では色温度が難しい。残念ながらこの日は時々小雨がぱらつく曇天。何となく心も晴れない思いで出雲に入ったのである。

 

既に訪問したと言っても、撮影ポイントが決まっていたわけではない。夜の光を放つ姿、しかもあくまでも”灯台の立つ風景”を撮りたいわけであり、周囲をぐるぐる歩き回ってから、ようやく三脚を組み始めた。週末でもないこの日、更に天気も今ひとつであり、観光客の姿はほとんど無く、気ままに撮影ポイントでカメラバッグを広げることができた。

 

徐々に、点灯された灯台や照射塔の光が浮かび上がるものの、曇天の空を背景に、あまり映えない。それでも、何枚か写真を撮っていく間に、いつもの灯台巡りをしている自分に戻っていた。楽しみにしていた夜の日御碕。岩場で波が砕ける音を聞きながら、その光を見ていると、ずいぶん昔に訪ねた時から、それほど時間が経っていないような、と言うより自分の中での時間経過など、自然の中では取るに足らないものであることを改めて感じさせられた。

だが、しばらくするとぱらつく小雨にせかされるように、撮影を切り上げたのである。

 

曇天を理由にする気はないが、写真の出来映えは今ひとつ。しかし短く限られた自分の時間であったとしても、またここに来ることを確信して、次に期待し、不思議なくらい満足して、日御碕灯台を後にした自分であった。

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大浜埼灯台(広島県)

2012/03/03 09:27

 

今回は、広島県尾道市にある、大浜埼灯台を紹介する。既に私の灯台巡りでは記事にしているので、今回はその魅力のみをまとめてみたい。

尾道市と書いたが、しまなみ海道でつながった因島に立っている。因島大橋からもその姿を見ることができ、ここを通過する多くの人の目に写っているはずである。橋から見た姿以上に、訪ねてみると白亜の姿がきれいであり、立地・景観もすばらしい。だが、それ以上に私がこの灯台を気に入っている理由は、訪問者に優しいと感じたからである。

 

島に渡り、車を駐めて整備された公園の敷地を進むと、湾曲した浜辺の向こうに灯台の姿が見える。遠すぎず近すぎず、その距離感が良い。更に灯台へ向かう道は、海岸線から一度離れて、埼の中腹まで登って、灯台の後方から訪ねる形になる。このアクセスの経路がまた良い。少し上から見下ろす形のおかげで、周辺の景観と併せて楽しむことが出来るのである。

右手に因島大橋の全景が、正面に布刈瀬戸の海峡が見渡せ、その手前に大浜埼灯台の姿がある。しかもこの行程は、訪問者のために整えられている。大浜埼灯台は、験潮所・潮流信号所として活躍していた時期もあり、その頃の施設なども歩いて回ることが出来る。とは言っても観光地となっているわけではない。訪ねた人だけを優しく迎え入れてくれると言った感じなのだ。

しまなみ海道を渡られるときに、少しでも灯台に興味をお持ちの方なら、是非立ち寄っていただきたい灯台である。

 

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灯台巡りでの旅愁

2011/11/29 14:15

 

私が灯台を訪ねるときは、一人が多い。家内と一緒に温泉旅行を兼ねてなんてこともあるが、たまに出かける灯台巡りの日は、子供たちと家内は別に楽しんでおり、私一人気ままに出かけるのである。『一人じゃつまらないでしょう?』とか、時には『本当に一人?』と別の意味で質問される。ただそんな特異な趣味を持つ連れがいないだけなのであるが、一人でしか味わえない旅愁を少なからず求めているからかもしれない。

観光地に立つ大型灯台、岬や埼に立つ灯台、誰もその存在すら知られていないような小型灯台など灯台も様々であるが、どんな灯台であろうと、初めて一人で訪ねる場合には、少なからず旅愁を味わうことが出来る。今回は、そんな巡ってきた灯台の中で、旅愁を強く味わわせてくれた灯台を二つ紹介してみる。

 

最も旅愁を強く感じたのは、佐渡の弾埼灯台である。佐渡の北端に立つこの灯台は、もの寂しさの中に力強さを感じさせてくれた。初秋の風が心地良いのであるが、時より日射しが雲に隠れると、周辺の草を揺らす風の音が急に耳に付く。私が訪ねた時は、一人でバイクツーリングしている若者だけしかいなかった。会話こそ交わさなかったが、同じように柵にもたれてススキの向こう側の灯台、そして海を眺めていた。彼の存在は、佐渡に渡って、佐渡を走ってたどり着いた最北端を意識させてくれる意味で大きかったのかもしれない。互いに一人旅だからこそ味わえた旅愁だった気がする。

 

もう一つ紹介するのは、徳島県の蒲生田岬灯台である。瀬戸内海への東玄関口となるこの岬は、伊島の灯台と対となる重要な地である。陸路でここへ来るのは、かなり入り組んでおり、そう言った行程も旅心を刺激する。岬周辺は観光地ではないにしても駐車場もあった。灯台までの道も階段も整備されていて、そこを登るとほぼ3/4が海に囲まれた岬に出る。ここでは数名の若者に出会った。ただ遊びに来たと言う感じで、賑やかに騒いでいたが、やがて彼らが帰ると、私一人だけのために灯台、そして景観が残った。遠くに伊島が見える。徐々に西に沈む夕日は、灯台をほんのりと朱色に染めているのに、真上にはまだ眩しい青空が広がっていた。

 

灯台を目指す行程で山歩きをすることも多いが、そんな時は旅愁よりも征服感が強くなる。山登りと同じかもしれない。旅愁を感じたこの2基に共通する点は、・景観が良い、・観光地ではないが整備されている、・あまり人がいない、・訪ねるまでに時間を要する、・一人旅である

旅愁を感じる要素を、高校の時に・未知の土地 ・一人旅 ・若いこと と教わった。もう若くはないが、旅愁を感じる灯台巡りをこれからも続けたいものである。

 

 

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若くは無いと感じつつ(津ノ和鼻灯台:島根県)

2011/10/03 16:55

 

島根県の灯台を訪ねるのは、休日が少ない自分には、少し厳しい。東海地方に住む自分にとって、西は鳥取県・兵庫県、東は石川県・静岡県くらいまでが日帰りでの限界と考えている。

そこで、この夏に三日間の休みを利用して島根県の灯台を巡る予定をたてたのであるが、直前に仕事が入り一日半に休みが減ったから大変である。早朝に自宅を出て島根県に入り、いくつかの灯台を巡って出雲で一泊して翌早朝出発して昼には自宅に戻ると言う強行となってしまった。そんなほぼ日帰りのスケジュールの中、最も汗をかいたのが津ノ和鼻灯台である。

 

笠浦漁港に車を止めて、灯台を目指したのであるが、とにかく暑いこの日、山歩きと言うことでマムシ対策で長袖長ズボン。汗だくになって灯台にたどり着いたのである。しかし、こう言った行程で訪ねた灯台には、秘境というか、プライベートビーチというか、一般に人が訪ねないからこその景観が残っていたりする。その昔、兵庫県の日本海側の香住港灯台を訪ねた時に見つけた砂浜では、思わず海に飛び込んで、ひとときを過ごした思い出がある。

 

灯台を右手に見て、左手には小さな入り江がある。灯台は崖の端に立っており、その下をのぞき込むと、穏やかそうな海面が見える。ふと海面に浮かんで、この灯台を見上げてみたい気になった。先ほど見た入り江から岩肌に沿って泳げば、問題なくたどり着けそうな気もする。少し離れた海面を見ても波は穏やかだ。

しばらく考え込んだ。海に飛び込み、灯台の崖の下まで泳ぐ自分を想像してしまう。汗だくと言うのもあったかもしれない。

 

が、しかし、結局飛び込めなかった。これからいくつかの灯台を巡らなければならないとか、時間が無いと言うのではない。ただ私の理性がそれを抑えた気がする。

「もう若くはないんだ・・・」少し寂しくそう感じてしまった。

(写真は、上が津ノ和鼻灯台、下が入り江の見える景色)

 

 

 

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絵画「私の灯台巡り」

2011/08/31 19:23

 

ネット社会に対しての考えはさまざまであろう。しかし人として社会人として責任を持てれば、その用途は限りなく広がる。冒頭から灯台と関係のない話となったが、ネットで知り合った画家の方に灯台巡りの絵を描いていただき、先頃作品が自宅に届いた。今回は、その話題に触れさせていただく。

 

「灯台」というキーワードで、今回絵を描いていただいた画家、棚倉樽さんとつながった。絵を依頼するにあたり、彼と会って、語り酒を酌み交わした。初対面で、同じ年の方で、ここまで意気投合した記憶は無い。ひとつのキーワードでつながったとは言え、そこに至るまでのコメントのやりとりなどで、十二分にお互いを見抜いていたのかもしれない。だからこそ意味のあるネット社会だと感謝したい。

 

絵についての感想は、時を同じくしてまとめた『私の灯台巡り』にまとめさせていただいたので、そちらをご覧いただけたら幸いだ。ただここでも語っておきたいこととして、棚倉氏が自分のブログのキャッチフレーズにされている、「お部屋に絵を飾りましょう」と言うフレーズをここで改めて私も伝えたいと言うことである。

絵が届いてから、それまで飾ってあったお気に入りの灯台の写真に変わって室内を飾っている。まだ届いて日が浅いが、不思議なことに、見る度に少しずつ表情が異なるような気がする。言い換えれば毎日異なった何かを絵が語ってくる。写真であっても芸術的な作品はそうかもしれないが、これまで飾ってあった私の写真は、お気に入りであっても単なる灯台の風景写真。表情を変えてくれることはなかった。

ネットと言うデジタル社会の象徴で出会った画家に描いていただいた「私の灯台巡り」の絵は、改めて人と人、心と心のつながり、アナログ的な感情の大切さを私に語りかけているような気がする。

棚倉樽氏のiza専門家ブログはこちらです。また棚倉樽のアートギャラリーのブログはこちらです

 

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長尾鼻灯台に近づきたかったが・・・

2011/08/26 14:51

 

鳥取県の鳥取市から海岸線に沿って西に進むと、夏泊という小さな岬があり、その先端に長尾鼻灯台がある。先日ようやく鳥取の灯台をいくつか巡ったのであるが、残念ながら灯台に近づく事が出来なかった。その悔しさを、「私の灯台巡り」でも少し触れたが、ここでもう一度触れてみた。

 

現在、灯台は無人化されており、灯台守という仕事は無くなっている。自動化に伴い管理人もいない。純粋に灯台を愛する者や、灯台の立つ風景が好きな者にとって、灯台を訪ねることは聖域に立ち入ることであり、その行為に責任を持って対応していると言う自覚がある。だからこそ管理人などいなくても、施設に障害を与えたり、汚したりするようなことは決してしない。それは灯台を巡っている者であれば、否定しないことであろう。そして同時に、そんな暗黙の了解があるからこそ、ある程度自由に灯台巡りをさせていただいているのだとも思っている。塀や柵があってもその隙間から入れそうであれば、問題とならない様にそっと侵入してして写真を撮ったりもする。あえて乗り来られる程度の低い柵であっても同じである。不法侵入?と言われればそうであるのだが、けっして悪意を持っているわけではない。

 

 

話は戻るが、長尾鼻灯台の敷地前には、空き地があるのだが、ここは釣り客などを相手にした駐車場となっている。灯台の撮影が目的と言うことで、駐車料金は徴収されなかったのであるが、灯台に近づこうとすると、きつい口調で敷地内には立ち入らないように!とその駐車場の方に注意をされた。

確かに柵があり門が閉まっている以上、そこに立ち入るのは、いけないことである。私自身、隙間も無く張り巡らされた柵を観て、そこに立ち入ることは既に諦めていた。以前千葉県の勝浦灯台を訪ねたときも、入り口の門は隙間があり敷地内に入れたが、灯台につながる門は固く閉ざされ、隙間無く覆われた柵もあり、立ち入ることを諦めた記憶がある。

 

しかし、今回は灯台巡りをしている私たちの思いとは別に、駐車場の管理の方から、きつい口調で言われた時には、少し抵抗があった。灯台への思いなど理解していただけるはずも無いから、仕方ないことであろうが、あえて言わせていただくなら、「あなたに、(灯台に近づけない無念さをわかってもらえないあなたに)言われたくない」であった。

決して、間違ったことではない。常識から考えても、立ち入り禁止の箇所への侵入を注意することは間違っていない。

しかし、なんとなく後味が悪い思いで、そこを立ち去ったことを記憶している。

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楯ヶ埼と千畳敷と二木島灯台

2011/06/17 10:33

 

久しぶりに景観を含めて、どなたにもお薦めできる灯台を紹介する。地元三重県の南に立つ二木島灯台である。私個人が二木島には特別な思い出があることも、お薦めの一因となっているが、実際訪ねられたら納得していただける景観が楽しめる。

 

三重県は縦長の県で、南北は直線で約160kmあり、東京-大阪の半分にあたる距離である。紀伊半島は、西が和歌山、中央が奈良、東が三重県と言った形で、熊野古道などと名が付くが、山中の多くは奈良県が占めている。吉野熊野国立公園として自然が豊かなこの一帯へのルートは少なく、中央に鉄道はない。高速道路も三重県側は伊勢志摩あたりまでしか整備されておらず、そこから南は一般道となり、訪ねるには不便さは否めない。賛否あるだろうが、私はこのままでいて欲しい派である。

二木島灯台へは、尾鷲を過ぎて42号線から離れ、311号線を進む。道沿いに楯ヶ埼や二木島灯台を見ることはできず、展望台とも言える場所に車を止めて、そこから歩きとなる。詳細は私の灯台巡りのこちらを参照下さい。

この歩きが、景観を求めるのには大切なのかも知れない。多少なりとも苦労して訪ねたと言う思いがあれば、その景観をより感動的なものにしてくれる。目に飛び込んでくる、千畳敷の広大な岩肌と手前にたたずむ小さな白い二木島灯台は、そこまでの経路や歩きを含めてもおつりがくる景色だと、少なくとも私は思っている。是非訪ねてみていただきたい。灯台の写真をはじめ詳細はこちらを!

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梅雨の中休み(島勝灯台)

2011/06/03 06:57

 

東北大震災の後、新たに灯台巡りに出かける気にもなれず、このブログも更新できずにいた。ところが今年は早い梅雨入りを迎え、被災地の方々に雨による二次被害が及ばないことを祈りつつ、『私の灯台巡り』のブログに梅雨に巡った灯台の思い出をまとめてみることにした。梅雨と言えば、じめじめしたイメージであるが、地元三重県の灯台では、梅雨にもかかわらず爽やかなイメージが残っている。これから梅雨を迎える被災地のみなさまに少しでもそのイメージが届けばよいと思いつつ、今回こちらのブログで、その灯台を紹介させていただくことにした。

 

意地悪なもので、梅雨の中休みの晴れ間は、平日に多い気がする。私が灯台巡りに行ける日祭日に晴れることは滅多にない。この日も雨こそ降っていなかったが、どんよりとした雲が広がっていた。それでもこの日は、じっとしておれずに島勝灯台を目指したのである。

三重県には長島という地名が二つある。一つは「長島温泉」や「なばなの里」が有名な北寄りにある長島、そして南にあるのが「紀伊長島」である。島勝灯台は紀伊長島を南下し、尾鷲に向かう途中熊野灘に突き出した半島にある。

島勝灯台に着いたときには、上空にどんよりと雲が漂っていた。海を背景にして灯台を少し見下ろせる景観で、私個人はお気に入りのアングルなのであるが、これで背景が青空なら・・・と言う思いが強く、今ひとつ満足できずに灯台での時間を過ごした。

ちょうど灯台の左方向に浜辺が広がっていて、その浜から灯台を見てみようと考え、浜に行ってみた。砂ではなく、砂利や小石の海岸で、仰向けに寝転んでも砂が付かない。なんだかそれが妙に気に入って、車から読みかけ中の本を持ってくると、波の音を聞きながら読書タイム。

半時間くらい経っただろうか、ふと空を見ると青空が広がり始め、蒸し暑さを感じはするものの、なぜか爽やかなイメージが私を包んだ。

 

以前から思っていたことであるが、梅雨は夏へのプロローグ。けっして嫌いな季節ではない。むしろこの季節だからこそ夏につながる何かを見つけた時には、こうして爽やかな思い出となっている。何かにつながれば、それで良いのである。

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『また巡りに行きます』と言わせてください

2011/04/05 11:51

 

東北・関東太平洋沖地震の被災者のみなさまに、心からお見舞いを申し上げます。

 

震災以後、自粛とかではなく、被災者の方々のお気持ちを考えると、とても巡ってきた灯台の記事をブログとしてアップする気にはなれずに放置していました。しかし何かしらのメッセージを届けたくて、私の灯台巡りのブログに『また巡りに行きます』と言うタイトルで、3月末にようやくブログをアップしました。宮城県から千葉県までの太平洋岸の灯台を巡った思い出と併せて、私なりのメッセージをブログにまとめたものです。今回その内容をコピーする形となりますが、イザの専門家ブログでの再開とさせていただきます。次回からは、オリジナルの内容でアップしますので、今しばらくお待ち下さい。

 

また巡りに行きます!と言うメッセージは、被災された方々への心からのお見舞い、そして深い同情の上に生じた私の素直な激励の気持ちです。遠く離れて暮らす私の中にある、太平洋沿岸の灯台を巡った思い出までも、全て流し去った震災、そして津波。そしてその地で今も避難しつつも復興に向けて立ち上がったみなさまへの私が贈ることができる唯一無二の言葉が、『また巡りに行きます』なのです。『私の灯台巡り』のブログでその真意を語らせていただいていますが、言葉はどうでも良いです。みなさまの必ずの復興を信じて、これからも応援、支援を私が出来る限りで続けて行きます。そして近い将来に、必ずもう一度巡らせて下さい。

写真は気仙沼に続く岩井埼灯台

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